谷中霊園は「やなかれいえん」と呼び、国が運営・経営する都立霊園の一つと言われています。
場所は東京都台東区谷中一丁目、JR日暮里駅より歩いて六分となります。
谷中霊園がある場所には、もともと「天王寺」というお寺の区域の一部であり、谷中霊園の中央にある通路は天王寺の参道として使われていたものです。
1908年に、天王寺から「五重塔」のモデルとなる塔が寄贈されましたが、これは1957年に起きた「谷中五重塔心中事件」によって失われてしまいます。
「谷中五重塔心中事件」というのは、不倫関係にあった二人の男女が谷中五重塔で心中をし、その際に火をつけたことから五重塔が燃えてしまったという事件です。
五重塔は谷中霊園のシンボルとして大切にされていましたので、それだけにこの様な形で失われてしまったことは「残念」としか言い様がありません。
その後は再建されず、現在は礎石でその名残を見ることが可能です。
この礎石は東京都が「史跡」として指定もしています。
この谷中霊園が造られた背景には、明治政府が進めていた「神仏分離政策」があります。
神仏分離政策と言うのは、神と仏を別々にすべきという考えの基に行われたもので、明治政府は神式の葬儀を世の中に広めていました。
その結果「神式」の葬儀が増えましたが、それまでのお墓と言うのは寺院が管理していたため、神式の葬儀を終えた人を葬る場所がありませんでした。
そこで新しくできた墓地が「谷中墓地」です。
その後1935年に「谷中霊園」と名前が変更され、現在に至ります。
霊園には桜が植えられている場合が多いのですが、谷中霊園も例外ではなく、霊園の中央にある道は「桜通り」と呼ばれています。
これは桜の花が咲くと「まるでトンネルの様に見える」ことから名づけられたもので、シーズンにはたくさんの人で賑わいます。
埋葬されている人の中には、幕末に活躍した幕臣の「渋沢栄一」、徳川最後の将軍である「徳川慶喜」、現民主党幹事長「鳩山由紀夫」の祖父で、内閣総理大臣も勤めた「鳩山一郎」がいます。
様々な人から愛されている霊園です。
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